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「新・手賀沼散歩」シリーズの<音訓(学習)><漢字修練(読み・書き)>だけでは、カバーできない内容も含めて、雑記風に、たまにはくだけた話や問題なども載せていきたいと思います。不定期記載ですが、雑知識・情報としてご活用ください。

●「阿堵物」=金銭のこと・・・と、今では金銭の異名として使われていますが、当時は「阿堵」とは、「これ」とか「この」とかの意の俗語だったそうです。
●この故事成語の主人公は王衍(オウエン)という人。竹林の七賢の一人である王戎(オウジュウ)の従弟。若いころは、同じく七賢の巨頭の山濤(サントウ)から、「いったいどんな母親(原文では「老嫗」)からこんな寧馨児(ネイケイジ:神童)が生まれたんだろう」と褒められたほどの人材だったらしい。
●その王衍、清談を生きがいにした風流人だったので、金のことを云々するなど俗の俗と忌み嫌ってた由。一方、妻のほうは金と権力の亡者だったので、綺麗ごとばかり言っている王衍のことが気に入らない・・・この王衍の鼻をあかしてやろうと、あるとき、この妻が王衍の寝台のまわりに銭をびっしり敷きつめさせた・・王衍、目がさめてみると、床が銭でびっしりで歩くことできず、かといって、「この銭をどかせ」ともいえないので、小間使いに、「阿堵物を挙げ却けよ」と言ったとか。これ以来、「阿堵物」が金銭の意味で使われるようになったんだと・・・。
●該当の原文は、「王衍、もとより、玄遠を尚(たっと)び、常にその婦の貪濁を妬み、口、未だ嘗て銭字を言わず。婦、之を試みんと欲し、婢(ヒ、はしため)をして、銭を以て牀を繞(めぐ)らし、行くことを得ざらしむ。王衍、晨に起き、銭の行をさえぎるを見、婢を呼んで曰く、「阿堵物を挙げ却けよ」と。」・・・当時の俗語ということですから、王衍の言った最後の言葉は現代風にいえば、「こいつをすっかりかたづけろ」とでも訳すのでしょうか(^^)
●ちなみに、この王衍、西暦311年、匈奴の大軍が首都・洛陽に迫ったときに防衛軍の元帥に推されたが、「わしは初めから役人づとめは性に合わなかったのに、ここまでなってしまった。・・・今日の事態はまことに重大、わしのような者にはとても手に負えない」とかなんとかいった末、匈奴軍に一戦で破られ、捕えられて殺されたそうです。
●冒頭の竹林の巨頭・山濤の「いったいどんな母親(原文では「老嫗」)からこんな寧馨児(ネイケイジ:神童)が生まれたんだろう」には続きがあって、それは「然れども、天下の蒼生を誤るは、未だ必ずしも此の人に非ざらんか」というものだったそうです。後段の山濤の予言は不幸にも的中したということでしょうか・・・(^^)
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